読売テレビの清水健アナウンサーを、
皆さんは知ってますでしょうか。
奥さんが乳ガンで亡くなられてから、
1年が過ぎたようです。

そこで、闘病の記録などを記した本を、
今年の2月8に出版しました。

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112日間のママ





清水アナは出版の理由を、
「自分がこういう状況になって初めて、多くの人がいろんな困難と立ち向かっていることを知った。少しでもそういう方のお役に立てるのであれば」と、
スポーツ報知の取材で答えています。

さらに、
「時間の経過はありますけど、区切りになんてまったくならない。悲しみってどんどん深くなるのかな、と思います」と、
心の内を打ち明けています。

また、この本の売り上げの一部は、
難病対策に取り組む施設・団体に寄付する方針だそうです。

清水アナは、
「決して僕たちはかわいそうな夫婦でも家族でもない。この本を読み終わった後に、涙を流すのではなく、隣にいる自分の大切な人を見てほしい。大切な人を思っていただける一冊になれば」と、
自身の気持ちを伝えています。

以下は、乳がん発覚から、
奥さんがお亡くなりになるまでの流れです。

・2013年5月19日、結婚

・2014年3月、妻の妊娠判明

・2014年4月30日、妻の左胸下の脇に近い部分に乳がんを発見

・2014年5月20日、手術、翌月より抗がん剤治療

・2014年10月、第一子(長男)が誕生

・2015年2月11日未明、妻が乳がんで逝去。享年29。


2014年の3月、
奈緒さんから「子供ができた」と伝えられたとき、
清水さんは「ほんまに!?ありがとな」と、
飛びあがらんばかりに喜んだそうです。

その翌月、乳がんが発見されましたが、
お腹の中の赤ちゃんへの影響を考えると、
分子標的治療、ホルモン治療、放射線治療は選べないことが分かります。

切除手術をしても、
CT検査も使えないため、
転移の有無さえわからないのです。

この時の心境を、
「出産を諦めるのか、諦めないのか。僕たちは幸せの絶頂から一瞬にして『命の選択』を突きつけられたのだ」と、
この本に書いています。

その時、
奈緒さんは言葉にはしなかったものの、
清水さんに目で
「産みたい」
と語りかけてきたそうです。

この時の診断結果は、
「トリプルネガティブ」であるばかりでなく、
増殖が早いタイプで、
手術をしても、
現時点で再発率50%でした。

それらを勘案した治療方針は、
「手術→抗がん剤→出産→CT・MRI→抗がん剤→放射線治療」と決まりました。

そして2014年5月20日の手術から、
傷口の回復を待って、
翌6月から抗がん剤治療が始まります。

そして4ヶ月後の10月に長男を出産しました。
出産後、奈緒さんは激しい腰の痛みに襲われ、
肝臓、骨、骨髄にまで、
転移していることが分かりました。

出産から2週間後の2014年11月に、
「もって3か月」と、
余命を宣告され、
より大きな病院に転院し、
抗がん剤治療を続けたようです。

奈緒さんは辛い副作用に苦しめられながら治療を続けましたが、
抗がん剤は効かなくなっていきました。
そこで、清水さんは3人での旅行を計画しました。

年末年始の休みを利用し、
沖縄の竹富島に、
最初で最後の家族旅行にでかけました。

血液検査の数値は奇跡的に落ち着いていて、
空港で奈緒さんは生まれて初めてベビーカーを押したそうです。

奈緒は、息子に、何回も何回も頬ずりをする。まるで、自分の感触を、刻み込むかのように

そして旅行の翌月の2月8日、
神戸にある別の病院に移ると、
2月11日午前3時54分、
奈緒さんの呼吸は止まりました。

清水さんはまだ温もりの残っている奈緒さんの横に、息子を寝かせた。
結婚生活は1年9か月。「ママ」でいられたのは、たった112日間だった。

奈緒さんが亡くなってから、
日記が出てきたそうで、
その1ページ目には、
「健さんが、私が死ぬことを前提に考えていることがすごく悔しい」と。
清水アナはその事について、
今でも後悔しているようです。

と、ここまでが「あらすじ」です。
この記事を打ち込んでいる間、
涙が止まりませんでした。



清水アナは以下のように、
治療法を徹底的に確認したようです。
Newsポスト セブンより

「健ちゃんは、ひとつひとつの治療法にしても、自分でトコトン調べるんですよ。徹底的に調べて、それでそれを今度は自分の目で確認するんです。その治療法をやられている一番手の先生に会いに行かれたりして、キチッとしたことを自分で確認するんです。



しかし、どんな医師に確認しても、
それが大先生であればあるほど、
帰ってくる答えは変わりません。

医師は治療結果に対して、
訴えられることを必要以上に恐れています。

医学会の推奨する、
「手術」「放射線」「抗がん剤」を勧めておけば、
あとは医学会が医師自身を守ってくれますから、
「放置」という選択肢を、
助言してくれる医師はいないでしょう。

このように、
どこの病院を訪ねても、
示される方針は最初の病院と五十歩百歩です。

近藤誠医師はこれを、
「セカンドオピニオン」ではなく、
「金太郎飴オピニオン」と名付けました。
(がん治療の95%は間違い (幻冬舎新書)のP4より)

また、奈緒さんは余命3ヶ月を宣告されましたが、
近藤医師によると、
「患者さんが担当医に言われた余命期間はウソだ」と言い切っています。
(がん治療の95%は間違い (幻冬舎新書)のP5より)

それは、抗がん剤などの寿命を縮める治療をする前提の、
余命期間だと言っています。

もっと言えば、抗がん剤などの治療を行わなかった場合は、
その何倍もの期間の余命となる、と言います。

奈緒さんは乳がん発覚から亡くなるまで、
9ヶ月ちょっとです。
抗がん剤など使用しなければ、もっともっと生き永らえたと思いませんか?

余命の考え方については、
近藤医師はこのように述べています。

100年以上前は、すべての乳がん患者が対症療法だけ受けていました。手術も抗がん剤もなかったからです。その時代の、亡くなられたあとの解剖で臓器への転移が確認された人たちの生存期間を見てみると、半数の患者が亡くなるのに2.7年かかっています。この生存期間を”生存期間の中央値”と呼びます。言い換えれば”半数生存期間”、もしくは”半数死亡期間”ですね。医者たちが患者に伝える”余命”は、この期間のことです。

(がん治療の95%は間違い (幻冬舎新書)のP112より)

また、抗がん剤については、
このように述べています。

乳がん治療の歴史に戻ります。本格的な抗がん剤治療が始まった1970年代に、臓器転移がある患者たちを対象とした研究では、抗がん剤治療を開始するとすぐ、バタバタと亡くなり始めます。そして半数生存期間は2.0年で、無治療の場合より短くなっていました。抗がん剤の毒性で命が縮んだためでしょう。


質問者「でも、抗がん剤は有効、と言われますが?」

その研究では、全患者の3分の2でがんが縮小し、”有効”と判定されます。専門家が言う『抗がん剤が有効』とは、がんが縮小するという意味です。有効率67%ですから、患者さんたちは期待しますよね。
ところが、生存曲線を比べると、無治療よりも生存期間が短くなっている
まさに”がんには効いた。患者は死んだ”です。

(がん治療の95%は間違い (幻冬舎新書)のP114より)

さらに、奈緒さんは「抗がん剤が効かなくなった」とのことで、
さらに別の抗がん剤に切り換えることを、
「乗り換え治療」と言うそうです。

その「乗り換え治療」により、
余命は半分になると言っています。

半数生存期間が2年であれば、本来は患者たちが生きている限り、どの時点からでも半数生存期間は2年のはずです。
ところが最近では、抗がん剤の種類が増えたので、別の抗がん剤にチェンジする”乗り換え治療”が蔓延しています。そして乗り換え治療を受けた人たちでは、半数生存期間が1年と、2年の半分になっています

(がん治療の95%は間違い (幻冬舎新書)のP115より)

近藤誠医師は「本物のがん」は治らない、
だから寿命を減らす、
「手術」「放射線」「抗がん剤」は、
やってはならない、と言います。

しかし私は今でも、
「ゲルソン」「温熱」「AWG」「ニュースキャン」
を実施すれば、
再発を防げるのではないかと、
実践中です。

あと、近藤医師は、
自分の外来で「放置」を選択した、
150人以上について、良く話しをされますが、
計算すると年に20人ぐらい、
月換算ですと1〜2人です。

これは、ほとんどの患者が近藤医師を信用しつつも、
家族の反対で(「手術」「放射線」「抗がん剤」)治療を選択していたと考えられます。

「放置」を選択するのも、
かなりの勇気が要りますよね。

もし、抗がん剤を選択した場合でも、
ゲルソンを並行して実施すれば、
吐き気などの副作用は半減します。
(あくまでも個人の実感です)

放射線治療は日焼けのように、
皮膚が変色するのが普通ですが、
温熱のおかげか、変色しませんでした。

このように三大療法と代替療法を並行して実施するのも、
しかたなく”あり”、だと思います。

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テーマ : ガン治療